ぶたばこ3秒前

厄介メンヘラの地雷ライフ

アラサーとお年玉

あけましておめでとうございます。

27になっても月に幾らか父にお小遣いをもらってる祭めぐるです。

 

ちょうど月の医療費と同じくらいの額をもらってるので、多分父もそのつもりで寄越してるんでしょうね。

何度か断りましたが、仕事を続けられるタイプの人間である、という信用からは遠いのでしょう、毎月振り込まれています。

 

 

 

今日はお年玉の話をします。

 

父からのお年玉は、私が旦那(当時の彼氏)と暮らし始めた頃からなくなりました。

補足までに、お小遣いをもらい始めたのは、親族揃って「めぐるにフルタイム労働は無理だ」と諦めがついてからです、家を出たばかりの頃はもらってませんでした。

 

じゃあ誰からのお年玉の話かというと、母からです。

 

母は、娘の私から見ても少し変わった人です(良くも悪くも)。

割と、慣習に対するこだわりの強い人で、よく手のひらを返しこそするものの、情に熱い人です。

 

私と妹が母に連れられて父の家から出た時、前にも書きましたがガチでお金がありませんでした。

それでもお年玉の習慣は続きました。

 

「親という目上の者が、目下の者に『お前のことが大事だぞ』という印のためにあげるものだから」。

母の言葉です。

 

お金がない時でも妹と私に5000円ずつくれました。

当時、ガチでお金に困って処女を売り飛ばすことすら視野に入れていた私は(結局、友達が真面目に止めてくれたので思いとどまれました)とても助かった記憶がありますし、母がどんな思いでこの5000円札を用意してくれたのかと考えると胸が苦しくなるような思いがありました。

 

「ママが働き続けてる限りは、あなたたちが幾つになってもお年玉はあげるから、親が親である印だからね」。

これも母の言葉です。

 

 

 

昨日1月1日には、旦那と2人で母の家に挨拶に行きました。

 

手作り(忙しい中、手作り!)のおせちが待っていて、当たり前のようにお年玉も待っていました。

旦那にも5000円、私にも5000円。

旦那に対しても「息子のように思っているわよ」と伝えたいのだと思います。

 

いつまでももらえるお年玉は嬉しいですが、あまり無理をせず、体力的にきつくなったら引退してのんびり暮らして欲しいと思う娘心です。

 

 

今年もよろしくお願いします。